静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

機能不全家族

憎悪と激情

仕事である人と揉めた。 言ったの言わないの、あなたがすべきだのあなたの注意不足だのと、仕事相手のAは私に仕事の失敗の責任を押し付けてくるのである。 当初、無事終了したと思った仕事だったが、後になって失敗が発覚した。その失敗をどう穴埋めするかで…

不穏な緊張と嫁姑問題で人間不信になる

中学時代の私の家庭は不穏な緊張に溢れ、安らぎの無い場所であった。厳格で不機嫌な父が居座る家、それは何が引き金になって怒鳴り声がするか分からない環境であった。

圧倒的な恐怖と凍結された感情を抱えて

私にとって最も辛かったのは小3のときだが、しかし中学に入ってからも辛い日々が続いた。 www.despair-suffering.com

機能不全家族の団欒

私の父は酒を飲まない為、定時に仕事が終わると真っ直ぐ家に帰ってくる。そして家族全員で夕飯を食べる事にやたらと拘るのであった。

無気力

私が小学5年の時、算数が出来ない事が発覚した。父に叱責され、猛特訓が始まった。小5で「割合」の計算が出てきて、元々苦手だった算数が更に分からなくなったのである。運動もそうだが勉強の成績もぱっとしない。それでも今までそれなりにやってきた。しか…

屈辱

父も母も教育熱心で躾にも熱心だったが、その事が私を追い込んでいた。小学3年生の時からストレスで爪を噛むようになったが、その癖はなかなか治らなかった。確か小学4年生の時、漢字が書けない事で父に激怒された。何かのきっかけで郵便局の「郵」の字が書…

受難の年

先日のキャッチボール事件は小3の時であったが、今回も同じく小3の出来事である。 www.despair-suffering.com この年は色々な事があった。もちろん嫌な事ばかりであり、私にとっては受難の年であった。

機能不全家族のコミュニケーション

先日、こんな記事を書いた。 www.despair-suffering.com 今回は機能不全家族のコミュニケーションという表題で、父親から受けた仕打ちを書く事にする。

薄氷

最近は気分が安定していて親を恨む気持ちがほとんどない。しかしそれはたまたま身の回りの事が上手く運んでいるからである。しかし、そうではないときに苦しくなることがある。 些細な失敗や挫折が引き金になり、親から受けた仕打ちと屈辱が蘇るのである。そ…

機能不全家族のレクリエーション

昨日、ある仲間たちとボーリングをした。ボーリングはレクリエーションである。レクリエーションをウィキペディアで調べると「気晴らし、娯楽、余暇、レジャーなど」とある。

「母」が不在ということ

生きることに苦しみ消耗している人でも「この人より先に死ねない」という人がいる人は幸せかも知れない。

「生まれて、すみません」か「よくも生んでくれたな」か?

「生まれて、すみません」は太宰治の言葉だが、私は「よくも生んでくれたな」と言いたくなるときがある。 「生まれてきたくなかった」「どうして僕を生んだのか」から一歩進んで「出産は悪である」と言わなければ気が済まなかった。出産について何も考えたこ…

孤独という静かな絶望を抱えて

先の記事で虐待は家庭内における完全犯罪と書いた。躾の名のもとに、教師や警察ですら不可侵である家庭という名の聖域で、容赦無く虐待が行われる。

完全犯罪の真相を知っているのはこの私、ただ一人であるという事実

完全犯罪、それは「家庭」と「躾」を隠れ蓑にし、親自身が抱える心の葛藤を子供にぶつける虐待行為を指す。幼い子供を恫喝し、恐怖で縛り上げて従順さを求める。…この犯罪行為は先述の通り「家庭」と「躾」によって完全に隠蔽される。当の子供ですら犯罪行為…

家庭という名の牢獄と完全犯罪

家庭は神聖にして侵すべからずな場所である。他人の口出しは禁物であり、時に教師や警察であろうと介入出来ないほどの聖域になっている。健全な家庭であればそれでも良い。介入などされずとも子供はまともに育つし、少し個性的な教育方針であっても、その家…

今更? でもこれから先の人生もずっと苦しむだろうから

今更、ブログを始めることに抵抗があった。この心の傷をこの歳になって改めてブログに書くことで一体何になるのだろうか。もう十年早く始めるべきだったのではないか。そんな思いがあったけれど、思い切って始めて良かった。

表面的にはごく普通の当たり前の家 しかし私の場合、これが厄介であった

私の家はごく普通の家であった。表面的には。しかしこれが真に厄介な事だったと今になって思うのである。

家にいること自体の恐怖と、家を出た後の生きづらさ

絶対的父権主義、圧倒的恐怖が渦巻く私の家では兄弟3人が常に怯えて暮らすことを強いられていた。宿題をやっていない、礼儀がなっていない、母親に反抗した…、確かに原因は子供の私にあったのかも知れない。しかしそれに対する罰則は極めて厳格なものであっ…

圧倒的父権主義の家庭に生まれて

これから私の生い立ちと現在の心境を綴りたいと思う。生まれは地方のごく普通の小さな街。祖母と両親、そして長男の私と弟が2人いる、ごく普通の家族構成だった。しかしそれは外見的な話で、この家の中は恐怖が支配していた。