静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

悪の魅力

私は実家から離れ、関東の大学に進学する事になった。
その為、小学6年から共依存関係にあったMと別れる事になった。

ここで少しMについて書いてみたい。
Mと出会ったのは小6のときにクラスが一緒になったからだが、活動的なMは学年でもちょっとした有名人だったので私もMの名前だけは知っていた。

私とMはすぐに意気投合した。そしてそれからずっと一緒にいる事になるのだが、Mは多才な男で、私の毎日をあっという間に退屈しない毎日に変えてしまった。

Mは中学と高校時代、全く勉強しなかった。頭脳的にはトップレベルで、Mさえその気になれば東大現役合格が可能なレベルだったが、享楽主義者のMは全く勉強しなかった。

それでも中学時代のMは成績がトップレベルで何の問題も無かった。Mは私を尻目に地域一番の進学校にあっさり入学したのである。しかし高校ともなると全く勉強をしなければ全く勉強についていけないという当たり前の結果が待っていた。しかしMは日々享楽を求め続けた。


私はそんなMにくっつき、来る日も来る日も遊び呆けていた。しかしMは高3の秋から美大に進学する事を考え始めた。享楽主義者のMらしく、それは4年間のモラトリアム期間を求めての事だったが、Mは絵をはじめとする美術においてもトップレベルの才能を持っていた。デッサンをさせれば教科書に掲載されているものと見分けが付かないものをサラッと描いてしまう実力を持っているのである。

心配する美術教師の予想はどこ吹く風、そして私の予想通り、Mは軽々と難関美大に合格した。
Mが難関美大に入ってしばらくしたある日の事である。校内に受験時の模範作品が展示され、かつて受験生だったMはそこに自分の作品を見つけるのである。他にも自分の作品を見つけて喜んでいる生徒が数名いた。それは掲載された当人には栄誉な事であり、その周囲にとっては嫉妬を掻き立てる出来事であったが、そうやって一喜一憂する様子をMは醒めた目で見ていたのである。Mはそんな男であった。


私は今だかつてMより能力的に優れた人間に出会った事は無い。
何かひとつだけなら優れた能力を持っている人間はたくさんいるが、Mは知力・学力・体力・運動神経・思考・思想・哲学・音楽・芸術・美意識、そして人の心を掴むカリスマ性と、ほぼ全てを兼ね備えていたのである。

今でも恋愛をすると共依存の苦しみに陥る事があるが、Mとの共依存関係は恍惚に満ちたものであった。こう書くと誤解されそうだが、私は異性愛者である。
しかし私に精神的な恍惚をもたらし、まるで帰依するかのような帰属意識をもたらしてくれたのは未だかつてMしかいない。


当時の私はMの栄光にすがって生きていた。重苦しい雲の隙間から陽光が差し込む、あのバロック絵画のような燦然たる栄光をMに見ていたのである。

今でも優れた能力を持つ人間に出会うと無意識にMと比較してしまう。しかしMは優れた能力だけはでなく、どこか翳があり退廃的であった。その事が更にMのカリスマ性を高めていたように思う。それは漫画「ジョジョの奇妙な冒険」第3部のDIOのような感じで、抗し難い悪の魅力に満ち溢れていたのである。

私は小説でも漫画でも映画でも、どうしても悪役に魅力を感じてしまう。正義の味方よりも断然、カリスマ的な悪役に魅力を感じるのである。

しかし当の私はそんな超然たる能力の持ち主では無い。Mの威光に浸り切り、ただひたすら現実から目をそむける世間知らずな青年だったのである。

私とMは違う大学に進学する事になり、私は初めて自分自身と向き合う事になった。