静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

無気力

私が小学5年の時、算数が出来ない事が発覚した。父に叱責され、猛特訓が始まった。
小5で「割合」の計算が出てきて、元々苦手だった算数が更に分からなくなったのである。

運動もそうだが勉強の成績もぱっとしない。それでも今までそれなりにやってきた。しかし「割合」で決定的に躓いてしまい、いよいよどうにもならなくなったのである。

2学期だかの通知表に算数に関する辛辣な評価が記載され、それを見た父が激怒した。「先生にあんな事を言われてお前は悔しくないのか。あの先生を見返すんだ」…その言葉と共に地獄の特訓が始まった。

父は私に付きっきりで一問一問、問題を解かせるのだが、私が理解していなかったり間違った答えを言うと拳で私の頭を殴るのである。

人間を恐怖で支配するのはすこぶる有効らしい。程無くして、出来損ないだった私がクラスで上位数名に入るエリートに変貌した。

だが、恐怖で震えながら嫌々勉強「させられた」故に、何の達成感も無く、嬉しいという感情も無かった。

この頃、まともな喜怒哀楽の感情が壊れた気がする。
そもそも私は先生を見返したくもなかったし、悔しくもなかった。小5にして無気力のただ中にいたのである。

しかし先生を見返したい「振り」はした。そうしないと精神論・根性論の父に詰められるからである。父は男らしさ、甲斐性、覇気を重んじるので私の「精神の在りよう」が非常に重要であった。反対に私はそんな事はどうだってよく、ただひたすら我が身の安全を考えていた。

不毛で貧しくすれ違う親子間のやり取りであるが、はた目からすると滑稽な事であろう。
その後も父は私を誤解し続けるのだが、父のあまりの鈍さと傲慢さに私はますます嫌気が差すのだった。