静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

ベートーヴェン 第九を聴いてきた

昨晩、ベートーヴェン・交響曲第9番「合唱付き」を聴いてきた。
年末になると盛んに演奏される、あの「第九」である。

サントリーホールの音響もさることながら、合唱の声量に圧倒され、あっという間の時間だった。

毎年一緒に第九を聴きに行く人がいる。今年で3年目の恒例行事となった。
その人は1年を振り返り、締め括る為に第九を聴くという。
しかし私は第九を聴くと、1年を振り返るというより苦しく暗い闇の中でもがいていた大学時代を思い出すのである。

生きる事が今よりも苦しかった当時、ベートーヴェンの音楽にどれだけ助けられた事か分からない。中でも第九の1楽章は数え切れないほど聴いた。

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ベートーヴェンの音楽は流し聴く事が出来ない。特に第九・1楽章には真剣に向き合わざるを得ない鬼気迫る深刻さがある。

第九を作曲した時、ベートーヴェンは全聾(ぜんろう)であった。
遺書をしたため自殺も試みたが、それでも生きて己の芸術を全うする事を選んだベートーヴェン。あくまで己の運命と闘う事を選んだベートーヴェン。

1楽章にはその生き様と厳しさが凝縮されていて、何度聴いても魂が震えるのである。

第九は「歓喜の歌」と呼ばれる事があるが、私はこの呼び方が嫌いだ。
世間では4楽章の有名な主題だけが第九と思われているフシがある(下記Youtubeリンクの部分から)。だから「歓喜の歌」なのだろう。

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もちろん4楽章は素晴らしい。紆余曲折の末、苦悩から歓喜へと突き抜けるあの感じは堪らない。
しかし私の場合、思い入れがあるのはやはり1楽章である。

最近は大学時代と比べて生きづらさが軽くなった為、聴く音楽も癒やしやリラックスを求めてのものが多くなってきた。

ブルックナーの音楽は人間の葛藤とは無縁で大自然の如く雄大だが、このところそんな音楽ばかりを聴いていた。

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しかしたまには人間の葛藤と苦悩が凝縮された音楽に向き合うのも良いと思った。

年末になるとここぞとばかりに演奏され、猫も杓子も第九で辟易するが、しかしそれでも第九が素晴らしい事には変わりはない。

これからも折に触れて第九を聴きたいと思う。