静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

高校生の頃

学校も家庭も心が休まる場所など無い中学生活を送ったが、高校に入って幾分か状況が好転した。私が入学した高校は中学と比べて校則が緩かったのである。

私にとっては苦行でしかない部活だが、高校では文化部の数が一気に増えた。それによって男子が文化部に入っても「軟弱者」の烙印を押されにくい雰囲気があって、その事にホッとした。私は迷う事なく帰宅部として機能していた美術部に入った。これで父に「部活に入った」と言える事が嬉しかった。私は父を騙す形で納得させる事に成功したのである。

高校ではクラスの人間関係もサバサバしていて辛い事は無かったし、中学時代よりも自由を満喫する事が出来た気がする。

しかし常に進路の事で頭が痛かった。中学のときは高校進学しか選択肢が無いかの如くなので、あれこれ自分で考える必要は無いが、高校から先は自分で考えて大学や専門学校に行くか就職するかを決めなければならない。

友人のひとりに自動車が好きな奴がいた。
そいつは高1の頃から自動車関係の専門学校に行く事を夢見ており、進路に迷いやブレが皆無だった。それに比べて私はやりたい事が一切無かったので、進路を考える度に途方に暮れるのであった。

やりたい事も無ければ働きたくも無い。すると大学に入って4年間のモラトリアム期間を得ようと考えるのだが、それだって自分が望んでそうしたいわけでもない。
とにかく将来に対して何の希望も無く、ひたすらだるかったのを今でも覚えている。

父は私を大学に行かせたがっていた。それは紛れも無い父の親心であったが、私はやる気・覇気・甲斐性無しの3無い息子であって、自分でも大学に行きたいのか行きたくないのかさえ分からなくなっていた。

そんな私にあるとき、父が詰め寄った「お前、上(大学)に行くんだろ!?」
恐ろしい父を前にして、死んでも「やる気ないから行きたくもない」とは言えなかった。とてもそんな事を言える雰囲気ではないのである。

やる気・覇気・男らしさが極めて重要で根性論・精神論が渦巻く我が家において「退却」は許されず、死んでも前進あるのみである。
なので私は曖昧に「行く」と返事をしたが、それからも全く勉強する気が起こらなかった。

そうこうしているうちに時間ばかりが過ぎていく。結局、辛うじて大学に進学したが、将来の事よりも、家を出ることが出来た事が心底嬉しかったのである。

その後、今に至るまでずっとひとり暮らしをしているが、あの時、家を出て良かったと今でもよく思うのである。