静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

機能不全家族のコミュニケーション

先日、こんな記事を書いた。

 

www.despair-suffering.com

 

今回は機能不全家族のコミュニケーションという表題で、父親から受けた仕打ちを書く事にする。

私は小学校3年のとき、既に生きる事の辛さに喘いでいた。今のように自殺を考える事はなかったが、厳格過ぎる父に怯え、苦しんでいた。

父が私に命じる事の全ては強制力を伴ったものであり、当然ながら私に拒否権は無かった。そればかりか父の命じる事をありがたい事として受け入れなければならなかった。少しでも嫌な素振りを見せると恐ろしい剣幕で恫喝されるのだから。

父が私に命じる事、それは「甲斐性」を持つ事だった。男たるもの、長男たるもの、甲斐性無くして生きて行けると思うなとばかりにそれを求めた。
勉強は当然の事、運動も、精神的にも、である。

ひ弱で覇気の無い私は父の期待に応えられなかった。
しかしそこで落胆して終わるような生やさしい父ではない。ひたすら執拗に、決して私を赦す事無く厳格な教育と地獄の特訓を開始したのである。

ある夕方、仕事から早く帰った父は「キャッチボールをするぞ」と言い、近所の空き地に私を連れ出した。

小3の時点で父に対して怯えていた私は一秒たりとも父と一緒に居たくなかった。しかし父はそんな私の気持ちに気付く筈もないし、気付いたとしても斟酌してくれる筈もなかった。

家畜が屠場に連れられるかのように空き地に連れられる私。
その時から嫌な予感がしていたが、無情にもそれは的中した。

そもそもキャッチボールなんかしたくない。
父と一緒に居たくない。

このふたつが掛け合わさって余計にやりたくない、一刻も早く開放されたいと心底願う私。しかしそんな願いが人の気持ちを考えた事など無い父に届く筈もなく、延々とキャッチボールを「やらされる」事になった。

運動音痴な私はボールを投げるのも受けるのも苦手なのでキャッチボール自体が苦痛で仕方がなかった。更に甲斐性無しと怒鳴られる。そんな事じゃ駄目だ、お前は駄目だ、もっと頑張れ、こんな事も出来ずにどうやって学校生活を送るんだ…、多分こんな事を言われたと思う。小3の子どもにとってそれは容赦無い仕打ちだった。

キャッチボールが出来ない事で将来困ってもいいから放っといてくれ。見放していいから自由にしてくれ、…もちろんこんな願いも届くことは無い。

そんな中、延々とキャッチボールが続く。汗だくになって肉体的にも精神的にも限界を向かえた私はキャッチボールを終わらせる事を思い付いた。

キャッチボールを終わらせるときの作法を知っているだろうか。キャッチボールを続けながらお互いに少しずつ近寄っていくのだ。そういう作法というかルールがある。以前、父から教わった事を思い出し、意を決して恐る恐る父に近寄ってみる私。
はじめは何の事か分からなくて不思議がっていた父に、おずおずと「もう終わりにしたい」と申し出ると一喝された。そんな根性無しでどうするんだ、と。

こうして地獄の特訓は続いた。私はあまりの辛さに途中で泣いたと思う。しかしそんな事で赦してくれる父ではなかった。それどころか「男たるもの、何を泣いているのか」と更に叱責された。決して人を赦さず地獄の果てまで追い詰める…、それが私の父である。

父が満足したのか私の出来の悪さに嫌気が差したのか、それとも私の疲労困憊の様子を見てさすがにもういいだろうと思ったのか、それは分からない。しかしついに地獄のキャッチボールが終わる時を迎えた。

家に帰って一緒にシャワーを浴びながら「やって良かっただろう」「やれば出来るようになるから」などと言われたが、私の心は既に死んでいた。放心状態の中で、この父親とこの生活に心底嫌気が差したのであった。

***

元々幼少の頃から運動・スポーツ嫌いな私だったが、このキャッチボールがきっかけで決定的にそれらが嫌いになった。
大人になった今でも運動・スポーツ嫌いが続いている。
運動自体も、スポーツ選手も、スポーツ観戦も、ごく少数の例外を除いてほぼ嫌いだし、運動やスポーツに人生の仇と言っていいくらいの恨みがある。

特にその中でも野球である。巨人の星に代表されるスポ根が嫌いで嫌いで仕方がない。憎しみを覚えるくらい嫌いである。

今はそうでもないが、昔は毎晩のようにテレビで野球中継をやっていたし、野球に興味が無いと男同士の話について行けなくて変わり者と揶揄されたりもした。
小学校の頃、巨人の野球帽をかぶったりお菓子の付録の野球選手カードを集めたりしたものだが、正直何が面白いのかさっぱり分からなかった。

それでも最近は少しマシにはなってきた。私が運動やスポーツ嫌いを告白しても世間は私を攻撃しない事が分かったからだ。私を鼻で笑わない事が分かったからだ。

また「野球以外はスポーツにあらず」な世相が変わってきた事も大きいかもしれない。サッカーもあればバスケもあるし、そもそもネットの世界ではスポーツ嫌いな人がたくさんいるのである。そんな文化系な世界を知った事で安心したのも大きい。

冒頭の過去記事のボーリングもそうだが、私が育った家ではいついかなる時も勝つ事を要求された。ただでさえスポーツは勝ち負けが重視される性質がある。だからこのキャッチボールは余計に辛かった。上手くキャッチボールが出来ない事、それは野球の試合で「負け」に繋がるのだから。

だけど社会人になるとスポーツを強制される事が無いのが良い。社会人、それはそれで日々理不尽な事が相次ぐわけだが、しかしスポーツと縁が切れた事が私にとっては相当大きな、そして嬉しい出来事だったのだ。

それくらい私のスポーツに対する見方や感じ方が歪んでいたのである。そしてそれはあの日のキャッチボールが原因である事に間違いない。

今では野球好きの人と会っても心が強張る事も無ければ感情の揺れも無い。それはごく当たり前の事であるが、私にとってはようやく開放された事を意味するのである。

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父からはこの他にも数えきれないほどの恫喝や強制などの仕打ちがあったが、これが最も深く心に突き刺さっている事件である。
そして眠れない夜などにふと辛かった事を、泣いても赦してもらえなかった事を思い出すのである。