静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

圧倒的な恐怖と凍結された感情を抱えて

私にとって最も辛かったのは小3のときだが、しかし中学に入ってからも辛い日々が続いた。

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小学校は私服で登校していたが中学校からは制服で、しかも男子は丸刈りにする決まりになっていた。今では丸刈りなど有り得ないのかも知れないが、当時私が住んでいた街ではそれが当たり前であった。
しかしだからといってすんなり受け入れられる事ではなく、環境の変化に大きなストレスを感じた。勉強は格段に難しくなるし、実質強制で運動系の部活に入らなければならなかったからである。

私は一番ラクそうで、かつ「男としての体面」を保てる部活を探した。検討の末、選んだのは軟式テニス部であった。しかし野球やバレーボール、サッカーと較べてほんの少しラクなだけで、この部活も脳味噌まで筋肉質な体育会系の教師と、いわゆる「センパイ」が様々な理不尽を押し付けてくるものであった。

ただでさえ運動嫌いなのに運動を強制され、しかも正しい指導がなされない。例えば夏の炎天下でも水を飲ませてもらえないとか、5月の連休の休みを先輩に確認しただけで殴られたりとか、ありとあらゆる理不尽が渦巻いていたのである。

今思い返してもあの時苦しんだ事が私の人生に1ミリ足りともプラスに作用していないのである。プラスどころかあの理不尽のお陰で屈折した性格になり、人生観も更に暗くなって著しいマイナスを刻んだだけであった。

勉強、部活、逃げ場が無い学級での生活…。ストレスフルな中学生活を強いられる事で私は不平不満と愚痴をこぼすようになっていた。

ある日曜日の昼食時、そんな不平不満をこぼしていたときである。
父にかつて無い声量で「悲劇の主人公になるな!」と怒鳴られ、私は背負い投げでカーペットの上に叩き付けられたのである。

私はその時、痛みよりも圧倒的な恐怖と屈辱で大声を上げて泣いた。

自分は怒っている人間の顔に、獅子よりも鰐よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾でピシッと腹の虻を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄を覚え、

太宰治「人間失格」より抜粋

その恐怖は太宰が喝破したものと全く同じであった。

***

機能不全家族の中で育った事で、私の感情は壊れてしまった。
私の感情は未だに凍りついたままである。
自分に近い人が死んでも涙が出ないのだ。そんな自分がたまらなく嫌だけど、どうしても涙が出ないのだ。

悲しいことは悲しいのだが、しかし自然な感情が凍結されたままで、その死をどこか客観視している感じなのである。

普通、自分に近い人が死んだ時は理屈よりも感情が先立って然るべきなのに、私の感情は凍りついたまま、殆ど動かないのである。

件のキャッチボールや普段からの罵倒・恫喝、そして背負い投げによる圧倒的な恐怖と屈辱で感情が凍りついたままなのである。

凍結された感情をどう解凍するか…、私が抱える大きな課題である。