静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

不穏な緊張と嫁姑問題で人間不信になる

中学時代の私の家庭は不穏な緊張に溢れ、安らぎの無い場所であった。

厳格で不機嫌な父が居座る家、それは何が引き金になって怒鳴り声がするか分からない環境であった。

ある日の夕飯時、祖母がテレビに映る首相を「偉い人」と言った事で父が激昂した。祖母からしてみれば何気ない会話であったが、父が言うには「働いている人はみんな偉いんだ。誰が偉いという事はない!」というのである。

子ども心にも父が抱える劣等感の裏返しだと分かった。父は職場の話を殆どしなかったが、おそらく望む通りに出世が出来なかったのだろう。

父が出世しようがしまいがそんな事はどうだっていいが、しかしこの家ではいつどんな事で地雷を踏むか分からず、私は地雷原の只中にいる事が分かった。迂闊な事は言えないし言うべきではないのである。

またこの頃、隣接する家を買う事になった。父が言うには「隣の家にどんな人間が入ってくるか分からない。その人間がろくでなしでだらしなく、火の不始末でもしたら大変だ。だから今、隣人が出たタイミングで、新しい人が入る前に家を買う」との事だった。

もちろんその理由は分かるし現実的観点からも必要だったのかもしれない。しかしこれにより父は大きな借金を背負う事になった。そして父はもちろん母も神経質になっていった。

ちょうどこの頃から嫁姑問題が目に見えるようになってきた。
それまでは嫁姑問題など私の家には無いと思っていたが、この頃からあからさまに祖母と母の仲が悪くなったのである。

私はこの家族が仲良くあるべきとは露ほども思わない。
多少気心が知れた次男を除き、他の家族がどうなろうが知った事ではない。
私にとっての家族、それは血の繋がりという生物学的な事実と経済的なメリットでしかなかった。そんな家族観であるが、それでも祖母と母の間に漂う得も言われぬ険悪な雰囲気に私は緊張を覚えた。

今にして思う。私が抱える根深い人間不信の原因はこの嫁姑問題であった。

***

経済的貧窮と緊張を孕んだ機能不全家庭に相応しく、私は覇気の無い中学生になった。
期待の長男が、希望の長男が、である。あろう事かこの体たらくである。
見かねた父は私を連れて登山に向かった。

父と3000メートル級の山を登り切った私。
頂上で「お前もやれば出来るんだ!」と私を激励する父。

父が計画した「やる気・覇気・甲斐性無しの『3無い息子』更正プログラム」は見事に成功した。しかし私の心には全くといっていいほど響かず、かえってさめざめしい気持ちになったのである。

そのとき私は満足する父に失望し、軽蔑した。
私は遥か彼方をぼんやりと眺めていた。死んだ魚の眼をしていたと思う。
今までの、そしてこれからの遣る瀬無い人生を3000メートルの頂きで想うのであった。