静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

心の奥底の黒い塊について

私は人の心の奥底に潜む敵意と悪意を敏感に察知してしまう。
敵意と悪意はまるで黒い塊のようだが、それをむき出しにしてくる攻撃的な人ならば対処は簡単である。極力関わらないようにすれば良いのだから。

しかし心の奥底に黒い塊を抑圧している人が苦手だ。そんな人に出遭うと私は必要以上に警戒し、固く心を閉ざすのである。

私は彼が心に秘めた黒い塊を誰よりも鋭く察知する。するとそれ以上、親しくする事が出来ない。それ以上、踏み込めない。

私はバリアを張って安全圏に逃避するのである。
安全圏とは「上辺だけの付き合い」に徹する世界の事である。

しかし周囲を観察してみると、彼の黒い塊に気が付かないまま、にこやかに交流している人が多い事に気が付く。そしてこのような「健全な図太さ」で接する事が出来ない私は自分に失望するのである。

私の学生時代は対人恐怖症のおかげで暗黒の青春時代だったが、今は年の功もあって症状はほぼ消えた。
しかし臆病な心は残ったままである。臆病ゆえに「健全な図太さ」を欲してやまないのだが、今だにそれを手にしていない。

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黒い塊を心の奥底に抑圧している人でも、心の底の底では温かい交流を求めている。しかし温かい交流を求める気持ちを覆い隠す黒い塊が存在する為、うまく気持ちを出せなくて苦しいのではないか?
だったら恐れる事なく私から積極的に接すれば、それなりの会話が生まれてプラスの交流が生じるような気もする。
事実、世間の「健全な図太さを持った人」や「気にならない人」はそうして交流しているではないか。

しかし私はどうしても彼の心の底にある黒い塊に反応してし、その下にある「温かい交流を求める気持ち」にまで辿り着けないのである。
よって、彼とは積極的に交流するのではなく防衛的になってしまう。
そしてそれを察知した彼も私に不信感を抱く事になる。
かくして不信と緊張を孕んだ交流になってしまい、いつまで経っても距離が縮まる事はない。かといって露骨に離れる事も出来ず、いつの日か黒い塊が牙を剥くのではないかという怯えのなかで関係を続けるしかないのである。

…こんな事を「一般人」に話しても到底理解されない。何しろ彼らは私が欲してやまない「健全な図太さ」を持っているのだから。

「健全な図太さ」はときに人を傷付けもする。
しかし人付き合いに必要な要素であることも確かなようである。