静かな絶望と苦しみの果てに

機能不全家庭に育つ。子供の頃は怯え、大人になった今は虚無感・空虚感・ 世間とのズレに苦しむ、そんな日々を綴る。

憎悪と激情

仕事である人と揉めた。

言ったの言わないの、あなたがすべきだのあなたの注意不足だのと、仕事相手のAは私に仕事の失敗の責任を押し付けてくるのである。

 

当初、無事終了したと思った仕事だったが、後になって失敗が発覚した。
その失敗をどう穴埋めするかで最初は穏健に話し合いが進められたが、かなり大きな費用が掛かる事が分かってから、Aの態度が少しずつ変わってきたのである。

 

Aは語気を強め、こちらの落ち度をあげつらう。
さっきまで「問題ではなかった事」が、大きな費用が掛かる事が分かったときから「大問題になった」のである。

 

最初は黙ってAのでかたを観察していた私だったが、いい加減頭にきたので大人になる事をやめてこちらも言い返す事にした。
Aとの関係が悪化して決裂してもやむを得ない。
目の前にいる、恥も外聞もなく全責任を私に押し付けてくるAに辟易しながら、私も鋭くAに切り込んだ。

 

私が「どうにでもなれ」と開き直り、関係の悪化を一切恐れない態度、カッコ良く言えば「毅然とした態度」をとった事、…これがAにとって意外だったらしい。
しばらくして焦ったAは「落とし所」を探しはじめた。

 

しかし今度は私の気が収まらない。
「行くところまで行く」…そう肚を決めた私はAの「落とし所探し」に一切付き合わず、全てを突っ撥ねる強硬な姿勢を崩さない事にした。そしてAの論理の矛盾点を突いて問い詰めた。

 

私よりAの方が圧倒的に強い強い立場で、Aは私に反逆されるなどとは思いもよらなかったようで、かくして私の捨鉢の攻撃は思いの他、効果を上げたのである。

 

しかし私もこれ以上、事を荒立てて不要な痛手を負いたくは無かったので、落とし所探しを始めた。

 

 

何とか上手い落とし所が見つかり、更に様々な幸運も重なって思いのほかリカバリが出来た。具体的には私があれやこれやと失敗の穴埋めに奔走した結果であった。奇跡的にほぼ費用が発生しないかたちで一気呵成に事を収めた事で、私はもちろんAにもある種の達成感と妙な連帯意識が生じ、結果オーライとなった。

 

元はと言えばお互いの行き違いや確認不足で生じた失敗であったが、すっかり大仕事を終えた事で妙な達成感と高揚感を覚え、良い経験になったとさえ思い、ひと息ついた私だった。そんなところにAから電話が掛かってきた。

 

受話器の向こうから、Aの怒鳴り声が聞こえてくる。
今度は全くの別件である。
私の不手際で損害が出る見込みのようである。
Aの話をよくよく聞いてみると、100%私の落ち度のようである。
今度は平謝りに謝ったが、Aは怒り狂ったままである。
しかし最初の失敗に比べて大した損害が出る失敗ではない。だが、Aは怒り狂っているのである。

 

こう言っては何だが、ほんの数時間前、ほんのつい先ほど、Aと私の五分五分の責任と思われる失敗を私がリカバリしたのである。その直後、別の失敗が発覚した事で、こうも人が変わったように怒り狂えるAの人間性に私は引いた。
もちろん、先ほどのリカバリと今回の失敗は別件である。そして今回の失敗はあくまで私の落ち度であるから、叱責を受けるのは当然である。

 

しかし、である。
大した損害が出ないであろう失敗をここまであげつらうAの攻撃性と忘恩に私は開いた口が塞がらなかったのである。

 

そして更に、この話は思いもよらぬ展開を見せたのである。
なんと、Aは私ではない別の人がやった仕事の失敗を私がやった失敗だと勘違いして私を怒鳴りつけていたのである。

 

 


思うに、幼少期のAの家庭は苛烈極まりない環境で、我が子であるAの失敗を絶対に赦さない冷厳な親に虐げられる毎日だったのであろう。
Aは怒りをコントロール出来なかった若い頃の私に非常によく似ているから分かるのである。

 

アダルトチルドレンと言っても様々なタイプが存在するが、Aとかつての私は同じものを抱えているのではないか?
Aに確認する術は無いのだが、そういった意味で私はAが他人と思えないのである。

 

しかし、である。
だからと言って私はAに対して優しい気持ちになるわけではない。むしろその逆である。

Aは今後の人生で、私以外にも様々な人間と無用な軋轢を抱え、消耗しながら生きていく事だろう。

 

私もかつて、腹に据えかねた激情を周囲に吐き出していた時期があった。
もちろん人間関係は最悪で、人との軋轢が絶えなかった。だからAの状況がよく分かる。
しかし私はAを救えないし救わない。救おうとも思わない。むしろAの不幸を願ってしまう。それが嘘偽りのない私の本心である。

 

こうしてAの周りからは人が去って行く。

 

同じ心の傷を抱えているであろうAと私。
しかし分かり合えない。
不毛である。

 

 

尚、さも私は精神的に健康な人間であるかのように書いてはいるが、全くそんな事はない。そもそも精神的に健康な人間は無闇に捨て鉢な態度を取らない。

もちろん今回の件で私が間違っていると思っていないわけだが、しかしもっと穏健に自分の正当性を訴える方法もあった筈である。しかしそうはしなかった。

極端な話、破滅覚悟の気持ちがあった。

「もうどうにでもなれ」という激情に駆られて反撃したのである。

私の心の深いところにこの手の人間に対する憎悪があって、それが私を突き動かしてしまうのである。

無気力

私が小学5年の時、算数が出来ない事が発覚した。父に叱責され、猛特訓が始まった。
小5で「割合」の計算が出てきて、元々苦手だった算数が更に分からなくなったのである。

運動もそうだが勉強の成績もぱっとしない。それでも今までそれなりにやってきた。しかし「割合」で決定的に躓いてしまい、いよいよどうにもならなくなったのである。

続きを読む