精神的鎮痛剤としてのクラシック音楽
高校3年の時、クラシック音楽が好きになった。それからというもの、クラシックが心の支えになっていて、私の人生に無くてはならない存在になっている。今こうして記事を書いている時も聴きながらである。
クラシックには喜怒哀楽の全てが詰まっている。高3以前はロックやゲームミュージックを聴いていたが、それらがもたらす高揚感と同じものがクラシックにもある事に驚いた。
クラシックは教条主義的で嫌い、難しいから自分には無理という人が多いが、それはよく分かる。かくいう私も小学校の「運命」、中学校の「魔王」辺りで暗くて怖い印象を持つようになったのだから。
しかしそれは実にもったいない話である。もう一度言うが、クラシックには人間の喜怒哀楽の全てが詰まっているのである。
さて、表題に「精神的鎮痛剤としてのクラシック音楽」とある通り、日曜の昼下がり、陽が差し込む部屋で紅茶を楽しみながら…、という状況の為のものではない。
これは激しい鬱・絶望の精神状態の時に心を落ち着け、支えてくれる音楽のことである。死ぬか生きるかの精神状態のとき、私を支えてくれる音楽である。暗く苦悩に満ち溢れた、それこそ「暗くて怖い」音楽ばかりであるが、鬱・絶望の精神状態の心に染み入るものばかりである。
バッハ「マタイ受難曲」
モーツァルト「レクイエム」
ベートーヴェン「交響曲第6番・4楽章」
ベートーヴェン「交響曲第9番・1楽章」
ベートーヴェン「コリオラン序曲」
マーラー「交響曲第9番・4楽章」
バッハとモーツァルトは「絶望の中での祈り」、ベートーヴェンは「苦悩との闘い」、マーラーは「離別・絶望・死」といったところか。
しかし1曲の中には様々な起伏があり、ひと言で言い表すことは難しい。
マーラーは心が引き裂かれるような絶望の音楽ではあるが、最後は天に召されるような「救い」がある気がしないでもない。
尚、マーラーはこの曲の最後の部分に「死に絶えるように」という演奏指示を書き込んでいる。
追記:
いずれ「日曜の昼下がり、陽が差し込む部屋で紅茶を楽しみながら…」にふさわしいクラシックも紹介したいと思う。